これから留学を考えている方、留学したいけど足踏みしている方のために何か参考になればと思い、ぼくがNYへの留学を決意してから旅立つまでの経緯をざっくりと紹介していきたいと思います。
はじめに
(※誤解を招かないように→学費、そして生活費の一部は親に支援してもらっての留学です。本当に感謝しています。両親には頭が上がりません。)
まずは簡単に、当時のぼくの状況について説明しておきます。
元々日本の大学では、漠然と社会学部にいたのですが、同時に所属していた軽音部での活動に夢中で、主にバイトとバンドがぼくの生活の中心でした。
大学三回生の中頃、丁度同期のやつらが皆就活の準備をし始めた時に、ぼくはどうしてもその流れに乗ることができず、そこで色々将来について悩んだ結果、自分は「表現」「ものづくり」の世界で生きたいと気づき、デザインの道へと進みたいと考えるようになりました。
これが恐らく大学三回生の末、2009年の12月頃でした。
大学選び
まずぼくが始めたのは、大学選び。
自分が勉強したかったデザイン(インテリアデザイン)の学部がある大学を、初めはアメリカに絞らず色々と調べて回りました。(と言っても、主に利用したのはネットでしたが。)
当時何も知らなかったぼくは、とりあえず留学斡旋会社などのHPに載っている情報をかき集め、自分用の大学リストを作りました。
そして
- 学費
- 必要なTOEFLのスコア
- 知名度
を基準に3校ほどに絞り、その中の第一志望をカリフォルニアの大学に決めました。(ちなみにこの段階ではTOEFLが何かもよくわかっていませんでした。)
その時点で2009年末。
当時通っていた日本の大学の卒業が2011年の3月だったので、その年の9月入学を目標に、準備及び勉強を開始することにしました。
英語の勉強
2010年、大学四回生になると同時に、英語の勉強を開始。
但し、大学の単位がかなりヤバかったので、授業、バイト、部活、英語の勉強、の四つは無理と思い、その中でも大きなウェイトを占めていた部活を暫く休部し、他3つに集中することにしました。
今まで殆ど行かなかった大学の授業は全て出席し、終わったらゲームセンターでのバイト。(この仕事中に単語覚えたりリーディングの問題解いたりしてました笑) とは言え、そこまで真剣に出来ていた訳ではなく、正直勉強効率は悪かったです。
とりあえずネットで勧められていた参考書を片手に、わけもわからず進めました。
また短期でTOEFL講座のようなものにも通い、試験の概要と解き方の基本のようなものを学びました。
そして夏頃に初めてTOEFLの受験をしたのですが、まさかのラッキーで当初の目標だった62点を獲得することに成功。
行こうと思っていたカリフォルニアの大学の入学要件を呆気なく満たしてしまいました。
目標を高く設定
ここから手続きを始めれば、カリフォルニアの大学の2011年の9月入学が見えたのですが、
- 現状の英語力で大学にいきなり通うことへの不安
- 今のレベルで入れるところに行く必要性
- もっと上を目指したい
などの思いから、目標点数を80点へと引き上げて、ニューヨークの美大を受験することを決意しました。
さらにこの大学では、指定のアート・デザイン作品の提出が要件に含まれていたのですか、この段階でアートの経験などほぼ皆無の状態にも関わらず何故かいけると思い込んでいました。
甘かった考え
このレベルで62点取れるんだから、もう少し勉強すれば80なんてすぐだろう、なんて思っていたのが大きな間違い。
それから暫く間を空けた11月頃、再度TOEFLを受験したのですが、まさかの惨敗。前回よりも大幅に点数を下げた50点という何故か前回よりも点数が落ちるという残念すぎる結果に。
この時点でカリフォルニアの大学の願書はもう間に合わず、ニューヨークの大学も期限は1月だったものの、卒業論文をこなしながらTOEFLのスコアと作品(およそ20点)の準備は絶望的、というドロ沼に陥りました。
それでもニューヨークへ飛ぶことに
2011年1月受験9月入学は事実上不可能になりましたが、今更就活をするという選択肢はなかったので、必死に色々道を模索しまくった結果、ニューヨークに美大受験のための予備校があることを発見しました。
すぐさまアドバイザーの方に連絡を取り、費用や美大入学までに必要な情報を細かく伺い自分の入学の可能性を探った結果、厳しい状況ではありましたが、半年間でTOEFLの点数80点越えと作品20点を作ることは不可能ではないことがわかりました。
そこで再び両親に頭を下げ、四月より半年間ニューヨークで美大受験のための予備校へ通わせてもらうということをお願いしました。
元々大学入学を条件に渡米の支援をしてもらうという約束だったので、当初はあまりいい顔はされませんでしたが、正直に自らの置かれている状況を説明し、なんとか理解を得ることが出来ました。
卒論・バイト・バンド
本来ならここで渡米に向けて英語の勉強を続けるのが当たり前なのかもしれませんが、自分にはどうしても部活でのバンド活動をこのままで終わらせたくはないという思いがありました。
傍から見ればたかが部活ですが、四年間自分の青春を注いだこの活動にしっかりケジメをつけないと、後で絶対に後悔するのはわかっていたので、そこはあえてバンドをとることに。
そこからは、卒論の追い込み、資金稼ぎのためのバイト、そして12月の卒業ライブに向けてのバンド練習へと全てを注ぎました。
留学への準備・そして渡米
無事卒業ライブが終わり、1月の卒論を終えてからは大急ぎで留学への準備を開始。
斡旋業者など一切使わずの手続きだったので、全て自分で一から調べて、一つずつ必要な書類を集めました。
またバイトに加え、バンド活動にケジメがついたことで機材の殆どを売り払うことで、資金を調達。
バイト中や時間が空いた時は再び英語の勉強に取り組み、少しでもレベルの底上げを図りました。
ただ一つ不安だったのが、本当に大学が卒業出来るのかということ。
実はこの時、ぼくの単位の状況は、あと二教科落とすと留年という散々なもので、実際部活仲間は皆、ぼくが留年すると思い込んでいました。(笑)
ちなみにこの時、3/31発の航空券をすでに購入していたので、もし留年していれば本当の泥沼でした。今思い出しても鳥肌が立ちます。
結果的には最後の一年のみ全ての単位を取得の上、さらにはTOEFLの点数を申請したことで単位がプラスされ、何故か卒業要件より10単位多く取得しての卒業となりました。(笑)
これで無事にニューヨークに旅立てる、となったのですが、一つ気がかりだったのはそのほんの少し前に起こってしまった3/11の大震災でした。
ぼくの人生の中で日本が最も危険な状態の時に日本から離れることに、罪悪感の様な複雑な感情がありましたが、その時のぼくには何もできず。
結局、日本中か悲しみに覆われている中、2011年3月31日、関西国際空港から、ぼくはニューヨークへと旅立ちました。
この後、ニューヨークに着いてからの大学入学までのことについては、次の記事で紹介しています。
単なる自分語りというか、記録のようになってしまったのですが、実際ぼくがニューヨークに旅立つ前、このような留学生の体験談を色々と読んで、勇気づけられたり参考になったりしました。
様々な思いを胸に、様々な方法で留学に向かう人がいます。
そんな方達と、少しでも何か共有出来ればと思い、書かせて頂きました。
今現在留学生の皆さん、もしくはこれから留学に向かう皆さん、一緒に頑張りましょう!