前回の記事では、実際に僕がニューヨークに行くまでの経緯を紹介しました。
今回は、これから海外の大学受験に向けて頑張ろうと思っている人たちに向けて、僕がニューヨークに来てから大学進学までに行ったプロセスや、体験談を紹介したいと思います。
家探し
3/31。United Airlineの5人席の真ん中でエコノミー症候群に苛まれながら、なんとかニューヨークに到着。
滞在は最初の二週間のみゲストハウスを日本から予約していき、その間に家を探すことになっていました。
とは言え知り合いの誰一人いない状況で裸一貫で乗り込んできたので、当時は家の探し方も、そもそもどこに住めばいちのかも何も分からない状態。
とりあえず駆け込んだのが日系の某不動産だったのですが、ここで僕の人生を大きく変える出会いがあったことはまた別の機会にお話ししたいと思います。
何はともあれ、決して安くはなかった紹介料とテポジット(保証金)、そして一ヶ月分の家賃を引き換えに、素晴らしい部屋と出会えました。(ちなみに四年経った今もまだそこに住み続けています。
ニューヨーク留学で節約生活するためのアパート・シェアハウスの探し方/選び方
予備校開始
学校が始まったのは、おそらく到着の二週間後くらいだったと思います。
とりあえず最初の一か月はアートのクラスが主で、何年かぶりのデッサンや、水彩、粘土など、様々なモノづくりの手法を学びました。
今になって思えば、この頃は何も考えてなくて一番楽しかったかもしれません。
5月に入ってから、いよいよTOEFLのクラスが開始。
そこからは、午前アートのクラス、午後TOEFLのクラス、そしてまた夜アートのクラスという、美大予備校生らしい生活が始まりました。
TOEFLの勉強
それほどニューヨークに憧れを抱いてなかったおかげか、観光やイベントに対する欲があまりなく、初期の頃は割と淡々と勉強に集中していました。(当然といえば当然なんですが)
しかし、予備校でのクラスメイト達が飲みに行ったりイベントに行ったりしてる間、一人家にこもり過去問を解いているのは、なかなかの寂しさがありました。
ただ、
- そもそもお金がなかった
- 人一倍バカなので人一倍勉強する必要があった
- 同期の誰よりも早く点を取りたいと思っていた
- 遊びに来てるわけじゃない
ので、とにかくその時は必死にやるしかありませんでした。
詳細な勉強法については以下の記事を参考にしてください。
僕が半年でTOEFL iBT50点→81点を達成した勉強法① – 姿勢の話
また初期はとにかく単語とリーディング問題に積極的に取り組み、食事中に海外ドラマなどを見て耳を慣らしました。
80点の壁
アートの授業を取りつつ、提出用の作品(ポートフォリオ)は着々と準備が整ってはいたのですが、TOEFLの点数を満たさないことには入学は不可能です。
ので、感覚を鈍らせないため、そして慣れるために、ほぼ毎月のようにTOEFLの試験を受けました。
スコアシートが残っていないので具体的な得点の推移はお知らせできませんが、NYに来てから最初に受けた7月に75点を取得しました。
日本で受けた段階では62点だったので、私的にはこれは大きな伸びでした。
ただ何を勘違いしたのか、これなら80点はすぐだと思いあがり、勉強のペースががくっと落ちてしまいました。
それまで控えていた外食や週末に出かけたりなど、お金も時間も無駄に使ってしまいました。
案の定点数の伸びがそこで止まり、その後75〜79点の間を何度か彷徨いました。
惜しいところまでいってるのに、最後の80点だけがどうしても越えられない。
まるで何かに取り憑かれているようでした。
受験に向けて
この時の僕は、2012年の春(5月)入学を目指していたのですが、確か10月にポートフォリオレビュー(面接)があり、8,9月に受験申し込みをした気がします。
受験のための要件は主に
- TOEFLスコア80点以上
- ポートフォリオ提出
の2つでした。
さらにそこに最終学歴のGPA3.0以上というのがあったのですが、これに関しては正直情報が曖昧です。
大学のHPに明記はされていたものの、友人でも明らかにGPAが足りていないのに合格した人もいたりするので、正直なところよくわかりません。
何はともあれ大学の受験申し込みをオンラインで行い(もちろん英語です。)
これに関しては具体的なやり方は大学によって違う&年々アップデートされるので割愛しますが、かなり様々な情報が聞かれます(確か小学校の情報まで入力させられたような)ので、前もって自分の通っていた学校の住所・電話番号・英語表記等を控えておくといいかもしれません。
また、申し込みには
- 口座の残高証明(確か100万円以上のもので、当然親もしくは学費を支払ってくれる人のものでOK)
- 高校(と僕の場合は日本の大学のものも)の英文の成績証明書
の提出も義務付けられていました。
これらは、学校次第ですが発行に時間がかかるので日本から持ってくるか出来るだけ早めに親か代理人にお願いするようにしとくといいと思います。
ポートフォリオに関して
さて、普通の大学受験ではなく、僕の場合は美大なので作品の提出があったのですが、これは学科によって求められる作品が色々あります。
僕の場合は、指定されたインテリア関連の作品+自由に作ったアート作品等だったのですが、実は僕はその半分以上を面接前、最期の二週間で作りました。
今思い出しても恥ずかしいのですが、僕が読んでいた受験要項は一般向けのものであり、受験申し込みをした人向けに詳細な受験要項を記した(あるいはそのページに繋がるリンクが添付された?)Eメールが送られてきていて、ものの見事に気付いてませんでした。
当時は残念なことに同じ学部を受験する友人もおらず、基本的に一人でその辺りの情報を管理していなくてはいけなかったので、誰とも情報共有せず、しかし危機感も足りておらず、結局2週間前になって気付くという失態を犯しました。
ちなみに指定されていた内、自由に作ったアート作品に関しては十分な量があったのですが、学部指定の作品が要件を満たしたものを一つも持っておらず、そこから制作に入りました。
ちなみにこの時まだTOEFLの点数は取れておらず、しかしもう面接まで日がなかったので睡眠時間を返上しながら、ラストスパートを一気にかけ、なんとか20点の作品を準備することが出来ました。(今思えばものすごいエネルギーでした。)
面接
そして恐怖の面接当日。
実はその日の朝まで制作していたこともあり、一睡もせずに学校へと向かいました。
面接は、生徒四人と面接官二人。
内容は
- 椅子のデッサン(試験要項には載っておらず、想定外)
- 面接官による作品のチェック
- 面接官からの質問とアドバイス
でした。
順番が最後だったのですが、その間、他の三人が面接されている姿を目の前で見ながら、デッサンをするという、ちょっとした苦行でした。
しかも、面接官二人のコメントがなかなかシビアで、僕の直前の女の子に至ってはその場で不合格を言い渡されていました。
真っ青になりながら、しかも全然英語もまともに喋れない状態での面接だったのですが、シビアなコメントをもらいつつも概ね高評価を頂き、何より+αで持っていった普段の練習用のスケッチブックを、非常に高く評価してもらえました。(こちらの人は、プロセスを非常に大事にする傾向があります。)
TOEFLの点数がまだ取れてない件に関しては、「出来るだけ早く取れ。取れれば推薦するし、合格だ。」的なことを言われ、事実上の内定を頂いた形になりました。
そしてTOEFLは・・・
ポートフォリオ関連が全て終わり、肩の荷が下りたのか、その後のTOEFLの勉強は非常にスムーズに進みました。
その後、面接直後に受けたTOEFLで81点を取得。
すぐさま大学に、試験の結果を送付しました。
これで、受験の条件をすべて満たしたことになり、当初の目標であった「半年」をなんとかクリアすることが出来ました。
一時帰国、そして致命的なミス
Photo by Ryan McGuire
なんとか全てを終わらせた僕は、11月後半より一度日本に帰ることにしました。
九ヶ月ぶりの日本は最高に楽しく、友人との再会や和食に温泉など、つかの間の休息を味わうことが出来ました。
日本で気が抜けてへらへらしていたそんな時、アメリカより一報が入りました。
一緒のタイミングで別学科を受験した友人が合格通知をもらった、と。
そこは素直におめでとうだったのですが、僕のところには一切の通知はありませんでした。
ウェブサイトで、自らのステータスを見ることが出来るのですが、そこにも僕の合否の結果はナシ。
・・・とその時、あることに気付きました。
TOEFLの結果が反映されていない。
TOEFLの結果が出たのはこの一ヶ月以上前。
結果を送付手続きしたのもその日。(結果はETSより大学へ送られます。)
届いてないはずないのに、これは明らかにおかしい。
慌ててETSのウェブサイトを確認したところ、衝撃の事実が判明しました。
送ったTOEFLの結果が、一個前の結果・・・。
つまり、80点未満の結果を大学に送っていました・・・。
再渡米・・・そして入学まで。
日本から本来の結果の再送付の手続きを済ませ、年が明けてからのニューヨークにて直接大学へと問い合わせをしました。
そこで聞かされた結果は、Waiting List・・・つまり補欠。
入学金支払い日までに空きが出れば、入学出来るという、つまり事実上の不合格。
これには正直絶望しました。
今までやってきたことが全て無駄になったような気がしたからです。
結局その後、正式な不合格通知が届いたのですが、この後再び大学に問い合わせたところ、提出した書類は一年間有効で、受験申し込みさえすれば、もう一度面接を受けたり、TOEFLの得点を再び取ったりする必要はないとのことでした。
結局この形での入学を取ることにし、そこから八ヶ月間、語学学校でビザキープ、という形で、事実上のフリーターとなりました。
但しこの期間、いくつかのプロジェクトに参加させてもらったり、アートを習っていた先生の元でインターンをしたり、音楽関係のコネクションを広げたりと、その立場、状況を存分に利用して様々な経験をすることが出来たので、結果的には良かったと思います。
また、入学前に大学の夏期講座でいくつかの単位を先取りし、その時に後の親友及びルームメイトとなる台湾系アメリカ人の友人とも出会うことが出来ました。
入学は半期遅れてしまうことになったのですが、その結果得るものは非常に多く、このようになってしまったのも、また何かの必然だった、と思うようにしています。
一つ後悔があるとすれば、この時にブログはじめておけば良かったな、ということです。(笑)
おわりに
紆余曲折あって、予定外に時間のかかった入学までの道のりでしたが、一応半年で受験に関する全ては終わらすことが出来ました。こんなにだらしなく、半端者の僕でも出来たのですから、もしこれから受験を控えてる人は、自信を持って下さい。
大事なのは、覚悟と自信。
そして、諦めないことではないでしょうか。
皆さんの健闘をお祈りしています。